じ思想、同じ感じは経典から学び取つたものでなくて生れながらにして持つてゐたものらしい。擬人法が少し過ぎる位に使はれるのもこの思想感情のあらはれで作者にとつては少しもわざとらしいことではないのであらう。この歌の場合などは「めきし」となつてゐて擬人とまで行つて居らず、奈良を吹く秋風が伽藍の中でも、お宮の中でも伶人らしく振舞つてそれぞれの楽を奏して来たが、しまひに春日野に出て鹿の背を撫で、なほ嫋々たる余音を断たないといふほどの心で人を驚かすほどのことはないが、他の多くの場合には後に出て来る筈だが大にそれがある。
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千鳥啼き河原の上の五六戸が甘げに吸へる日の光かな
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之はまだ健康体であつた十四年の正月、上野原の依水荘での作。窓から冬枯の川原が広広と見渡され、千鳥が啼き、川糸遊が立ち山の朝日が昇つて初春らしい気分になる。河原の左側の堤の上の農家の家根がさも甘さうに日光を吸つてゐるといふのであるが、対境に同感するやさしい心、歌に裏をつける心持も同時に感ぜられる。
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比叡の嶺に薄雪すると粥くれぬ錦織るなる美くしき人
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一寸難しい歌だが、こんな風にも解せられる。北山の辺で錦を織つてゐる美人の許へ男が通つてゆく。いつもならその儘早く帰してしまふのであるが、冬も進んで今朝は特に寒く叡山に薄雪が見える、恋人に寒い目をさせまいと暖かい朝粥を食べさせて帰したと。別の解釈もあらうが兎に角綺麗な古京らしい歌で、時代が帰らぬやうに斯んな歌も今の京都では出来ないであらう。兼常博士に教はつたことだが、叡山に何とか懴法会の行はれる日は粥接待といふ行事があるさうで、それは霰の降る様な寒い日ださうである。
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先立ちて帰りし友の車中の語聞かで知るこそあはれなりけれ
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昭和十三年の秋、笹の湯から法師温泉を廻られた時、行を共にした中に二、三先に帰つた人達があつた。あの人達が車中話す第一の話は何だらう、晶子先生もすつかり年をとつて弱られましたねといふのであらう。聴かずとも分る。その位自分は衰へてしまつた。ことに前にこの法師温泉へ来た頃に比べると自分ながらよく分るといふわけで、読後の感じの恐ろしい位の歌だ。
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京の衆に初音まゐろと家毎に鶯飼
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