れを作者はなつかしさうに見送つてゐる。これも八ヶ岳山麓の月のある夕の小景で、カルサンといふ洵に響きのよい舶来語を使つて昔のもんぺ姿を抒してゐるのが面白い。今や漸く一般化した婦人の労働服をあらはす言葉としてこれを使つて見たら如何だらう。
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わが鏡|撓《たわ》造らせし手枕を夢見るらしき髪映るかな
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鏡に写つた我が黒髪には紛ふ方なき大きな撓が出来てゐる、その撓を見てゐると影の形に添ふ様に之を造らせた手枕の形が現はれる、さうして鏡は、私が今しがた迄手枕をして横になり物思ひにふけつてゐたのだといふことをはつきり示してくれる。私はその間何を思つてゐたのだらうか。先づそんな様な趣きの歌ではなからうかと思はれる。作者はここでも例によつて我が黒髪をさへ擬人して夢を見させてゐる。
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山の霧寂滅為楽としも云ふ鐘の声をば姿もて告ぐ
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祇園精舎の鐘の声諸行無常の響ありといふ、平家の書き出しから進んで道成寺の文句となり、甚だ耳に親しくなつてゐる鐘声にこもる四句の偈中寂滅為楽の妙境が鐘声といふ音楽に現はれる代りに、絵画的の姿、形をとつて現はれたものが目前の山の霧であつて、即ち仏法最後の涅槃境に外ならないのであらう。
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夕には行き逢ふ子無き山中に人の気《け》すなり紫の藤
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夕方になれば人も通らない淋しい山の径だが、春が来れば紫の藤が咲く。それの艶にやさしい姿を見るとまるで人にでも逢つたやうで懐しい。作者の何にでも注がれる深い同情心がたまたま山中の野生ひの藤に注がれた一例である。
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蓼科に山と人との和を未だ得ぬにもあらで物をこそ思へ
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わたしは山を愛して常に山に遊ぶ、山と人との調和の如きは、私の場合には、直ぐに出来て何の面倒も入らない。この蓼科でも同じことで私と山とは既にすつかり溶け合つてゐて、その間につけこむ空虚はないのである。それだのになほ物思ひに沈むのは如何したことだ。しかしそれは山の罪ではない、別に理由があるからだ。
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木の下に白髪垂れたる後ろ手の母を見るなり山ほととぎす
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皐月が咲き蜜柑の花が咲くやうになると人里近くにも山ほととぎすが
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