心持が洵に素直になだらかに快くあらはれて居る。こんな歌は、いくら作者でもさう沢山は出来ないと私は思ふ。その一読之亦何の奇もないところに高手の高手たる所因が存するのであらう。清水のやうな風味が感ぜられる。

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形てふ好むところに阿ねるを疚しと知りて衰へ初めぬ
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 女は己れを愛するものの為に形づくるといふ教へもあり、麗色は君の好む所であり我が好む所でもある。しかし容色の上に私達の愛は成立してゐるのではない、もつと精神的なつながりであり、全身全霊を以てするものである。だから、容色を整へる為に憂き身をやつすのはどうも面白くない。さういふ考へになつたため我が身に構はなくなつたり急に衰へてしまつた、困つたことになつてしまつた。表の意味はその通りであらう。しかし実は我が身の衰へ初めたのを気にして、それはきつと構はなくなつた為でその外に理由はないのだと自ら言ひわけをする心持を歌つたのではなからうか。

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筑摩、伊那、安曇の上に雲赤し諏訪蓼科は立縞の雨
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 十年の八月八ヶ岳の麓の蓼科鉱泉に行かれた時の歌。夏の山の雨が立縞のやうに音を立てて降つてゐる。しかし西の空、その下は筑摩川が流れ、伊那の渓谷が横たはり安曇の連山の起るその西空には真赤な雲が出てゐる。周囲身近かな現象と山国信濃の大観とを併せ抒した素晴らしい歌である。

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なほ人は解けず気《け》遠し雷の音も降れかし二尺の中に
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 君と我との隔りは僅に二尺しかない。それに私の出来るだけのとりなしはして見たが、まだすつきりと心が解けない、そして寂しいうとましいこの場の空気は晴れようともしない。ええ一そのこと夕立がして私のきらひな雷でも鳴るがよい。さうすれば局面が展開されよう。それを二尺の間隔へ雷の音が降るとやつたきびきびしさはいつものこととは言へ感歎に値する。

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荷を積める車とどまり軽衿《かるさん》[#「軽衿」はママ]の子の歩み行く夕月夜かな
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 カルサンは即ち「もんぺ」で今では日本国中穿たざる女もないが、この間までは山国の女だけしかしなかつた。その「もんぺ」を穿いた女が、着いたトラックから降りて自分だけの荷を担いで夕月の中を我が家へ帰つてゆく。そ
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