霧
原民喜
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)観念《あたま》
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何処かの邸の裏らしい芝生の傾斜が、窓のところで石崖になってゐた。窓からその傾斜を眺めると、針金を巡らした柵のあたり薄の穂が揺れてゐて、青空に流れる雲の姿が僅かに仰がれた。そこは色彩のない下宿屋の四畳半で、三人の男がくつろいだ姿勢で、くつろぎすぎた時間をやや持て余してゐた。とは云へ三人が三人同じ気分に浸れるのは、議論の果ての退屈に限った。
彼等は逢へば始め必ず議論をしたが、勝手な言葉と世界観の相違のため、何時も話は途中から喰ひ違って、傍から観るとまるで喧嘩をしてゐるやうであった。小さな眼をした男は薄い唇を自在に動かして、大きな鼻をした男の攻撃に応じるのだった。彼は人間最大の不幸は死の恐怖であり、人類の続く限りこれは消滅しないから、一刻も早く全人類を撲滅さすに限ると云ふ、ややシヨウペンハウエル流の考へを抱いてゐた。ところが彼に食ってかかる方の男はウパニシャットを愛誦し、たとへば富士山の崇高を仰ぐやうな気持で、人類諸君を肯定的に見渡してゐるのであった。二人の議論にはあまり加はらないで、まづ
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