らめいてゐる。ゆらめいてゐる。それはかすかに僕につき纏つてくる。僕はお前のことを考へてゐるのだらうか、お前に話しかけてゐるのだらうか、死んだお前が僕に話しかけてくるのだらうか。
僕は駅前の雑沓が一目に見下ろせる焼跡の神社の境内に来てゐる。僕の足許のすぐ下に鋪道が見え、駅の建物は静かに曇つてゐる。僕の目はごたごたした家屋と道路の果てにある薄い一枚の白紙のやうな海にむかふ。その白紙のなかに空と海の接するあたりに、かすかに夢のやうな紫色の線をさぐる。陸地なのだ。僕が昔お前と一緒に暮してゐた土地なのだ。あそこの海岸から僕はよく空と海の接するあたりに黒い塊りを見てゐたが、それが今僕の立つてゐる地点なのだらう。やはり今でも向側の陸地から、こちら側の陸地を眺めてゐるものがゐるやうだ。それはやはり僕なのだらうか。それなら、お前はまだあの土地のあの家の病床で僕のかへりを待つてゐるのかもしれない。……僕の視線はそつと朧なものを撫でまはし、それから、とぼとぼと神社の境内を出て行く。……
急な石段と忙しげな人通りが僕をゆるやかな追憶から切離す。僕は不安定なゴム底靴で弱々しい姿勢をピンと張りあげようとする。
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