、街はづれにある青い山脈が何か活々と不思議におもはれ、僕のまはりにある凡てのものが、もつと遙かなところから繋がつてゐるのではないかとおもへた。僕は生れ変るのではないかとおもへた。僕は僕のうちにどんな世界がひらけてくるのか、まだ分らなかつたが、視えない世界の光が僕のなかに墜ちてくるのを思つてぞくぞくしてゐた。
 僕が幸福の予感にふるへ、その世界をもつともつと姉から教へてもらひたかつた時、恰度その時、僕の姉は死んだ。臨終には逢へなかつたので、僕が姉と逢つたのは、あの病室を訪ねて行つた日が最後だつた。僕は姉が話してゐた、あの遙かな世界に、もうほんとに姉は行つてしまつたのだらうと思つた。だが、僕の上には何かとり残されたものの空虚が滑り墜ちてゐた。そのうちに姉の追憶がやつて来て、その空虚を満たすやうになつた。幼い時から僕はこの姉が一番好きだつたし、僕はこの姉から限りない夢を育てられたやうな気がする。子供の僕は姉が裁縫してゐる傍で不思議なお伽噺をうつとりとききとれたものだが、姉が嫁入したときのことも僕には何だかお伽噺のやうにおもへる。お伽噺の王女のやうに幸福さうだつた姉がほんとに死んでしまつたのだ
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