てゐた。倉敷駅で下車すると、彼ははじめて、静かな街にやつて来たやうな気持で、あたりの空気を貪るやうに吸つた。妹の家はすぐ駅の近くにあつた。彼はその家の座敷に腰を下ろすと、久振りに畳の上に坐れる自分を懐しくおもつた。松の樹や苔の生えた石の見える、何でもない、ささやかな庭も彼の眼には珍しかつたが、長らく見なかつたうちに、姪たちはすくすくと伸びてゐるのだつた。まだ国民学校の三年だといふのに、木綿絣のずぼんを穿いてゐる背の高い姪は女学生のやうに可憐だつた。
「諸人 こぞりて 讃へまつれ 久しく待ちにし……」と、その姪は幼稚園へ行つてゐる妹と一緒に縁側で歌つた。
「誰にそんな歌教へてもらつた」と彼はたづねてみた。
「お母さんよ、この、ひさあしいくう……といふところがとてもいいわね」
 翌日、彼が大原コレクシヨンを見て、家に戻つて来ると、小さな姪が配給で貰つた五つの飴玉のその一つを差出して、
「をぢさん、あげませう」と云ふ。
「ありがたう、をぢさんはいいから、あなた食べなさい」
 さう云ふと、この小さな児は円い眼を大きく見ひらいて何だか不満さうな顔だつた。
「配給を分けてあげたい折角の心づくしだか
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