ら、もらつておきなさい」と妹は側から彼に口を添へた。
 ……彼はその翌日、また汽車に乗つてゐた。夕刻広島へ着く頃になると、雨がポチポチ降りだした。駅の広場からすぐバラツクの雑沓がつづいてゐた。彼は橋を渡り、両側にぎつしり立並ぶ小さな新しい平屋建のごたごたした店を見すごしながら路を急いだ。その次の橋を渡ると、そこからはバラツクも疎らで、まだあまり街の形をなしてゐなかつた。道路からひどく引込んだ空地に、小さな家が見えて来た。
 彼はその家に近寄つて、表札を確かめると、すぐ玄関の戸を開けようとした。だが、戸は鎖してゐて、内には人がゐるのかゐないのか、声をかけてみても反応がなかつた。まだ、廿日市から引越してはゐなかつたのかしら、それにしても今日はもう大晦日だといふのに、どうしたことかしら……と、彼は家のまはりの焼跡の畑を見ながら、ぐるりと縁側の方へ廻つてみた。すると、そこには雑然と荷物が取りちらかされてゐて、その間に立働いてゐる甥たちの姿が見えた。漸くその日、荷物を運んで来たばかりのところだつた。
 翌朝、彼は原子爆弾に逢ふ前訪ねて以来、まだその後一度も行つたことのない妻の墓を訪れようと思つて
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