の世を離れたところにある、高原の澄みきつた空や、その空に見える雪の峰が頻りと想像されるのだつた。すると、昔みたセガンテイニの絵がふと思ひ出された。あの絵ならたしか倉敷に行けば見られるはずだつた。ふと、彼は倉敷の妹のことも思ひ浮べると、無性にそこへ行つてみたくなつた。そこの一家だけが、彼の身内では運よく罹災を免がれてゐるのだつた。
広島からの便りでは、焼跡に建てたバラツクは、まだ建具が整はず、そこで棲めるやうになるのは年末頃だらう、と云つて来た。彼もその頃、旅に出掛けたいと思ひだした。旅費にあてるために、大島の袷をとり出した。かうして年末の旅を目論んでゐると、石炭不足のため列車八割削減といふ記事が新聞に出た。その新聞もタブロイド版に縮小されてゐた。また行手を塞がうとする障碍物が現れて来たのだが、石炭が足りなくて汽車を減らすといふことは、何か人を慄然とさすのだつた。だが、彼はどうしても旅に出たいと思つた。切符を手に入れるため夜明前から交通公社の前に立つた。汽車に乗るためには六時間ホームで待つてゐなければならなかつた。
……混濁した空気の夜が明けると、窓の外には清冽な水や青い山脈が見え
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