は四千――これはやはりかなりの減少ではあつたが――差当つて心配はなからうといふのであつた。
「まあ、用心しながらやつて行くのですな」さう云はれると、彼は吻として、それから彼の新びいどろ学士も忽ち元気を恢復してゐた。だが、体がふらふらして、頭が茫としてゐることは前と変りなかつた……。「とてもいま書きたくてうずうずしてゐるのだが……」と、彼はある日、若い友人を顧みて云つた。「ものを書くだけの体力がないのだ。二週間でいいから飢ゑた気持を忘れて暮せたら……何しろ罹災以来ずつと飢ゑとほしなのだからね」
彼とその友とはお茶の水駅のホームに立つてゐた。電車が発着するすれすれのところに、片足は靴で片足は草履で、十歳位の蓬髪の子供がぼんやり腰を下ろして蹲つてゐる。
「あんな子供もゐるのだからね」と彼は若い友を顧みて呟いたが、雑沓する人々は殆どそんなものには気をとられてゐないのであつた。
狂気の沙汰は募る。――と彼はその頃、ノートに書込んだ。電車の混乱は暑さとともに一層猛烈を加へ、屋根に匐ひ上る人間、連結機から吹出す焔、白ずぼんに血を滲ませてゐる男、さういふ光景を毎日目撃した。さうして、彼は車中では、
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