だと云はれたら、それこそどうしやうもなかつた。
 が、たうとう思ひきつて、ある日、信濃町の病院を訪れた。するとまた、彼のなかから新びいどろ学士が目をひらいて、あたりを観察するのだつた。その焼残つた別館の内科診察室の狭い廊下には昼間も電燈が点いてゐて、ぞろぞろと人足は絶えなかつた。彼が椅子に腰を下ろして順番を待つてゐると、扉のところへ出て来た高等学校の学生と医者とがふと目についた。その学生は、先日文化学院で見たピアノを弾く少年とどこか類似点があつたが、見るからに生気がなく、今にもぶつ倒れさうな姿だつた。
「電車などに乗つてやつて来るには及びません。家へ帰つて夜具の上に寝てゐなさい。窓を開け放して、安静にしてゐることです。充分な栄養と、それから、しやんとした気持で、決して決して、悲観しないことです」
 医者が静かに諭すと、その青年は「はあ、はあ」と弱く頷いてゐる。ふと彼は病死した妻のことが思ひ出されて堪らなく哀れであつた。だが、彼の順番がやつて来ると、彼はまた新びいどろ学士にかへつてゐた。
「前からそんなに瘠せてゐたのですか」と、医者は彼の裸体に触りながら訊ねた。
「食糧がないから瘠せたの
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