平和への意志
原民喜
二つの特輯が私の心を惹いた。知識人戦線(個性七月号)と平和の擁護(近代文学八月号)と、これは近頃、最も意義ある特輯だつたが、かうした特輯は今後も絶えず繰返して為されなければならないし、何度繰返しても多すぎるといふことはあるまい。極言すれば戦災死をまぬがれたわれわれにとつて、これこそは最大の、そして最後の課題なのだ。
一九四五年八月六日、言語に絶する広島の惨劇を体験して来た私にとつて、八月六日といふ日がめぐり来ることは新たな戦慄とともにいつも烈しい疼きを呼ぶ。三度目の夏に、私は次の如くノートに書き誌しておいた。
三度目の夏に
お前が原子爆弾の一撃より身もて避れ、全身くづれかかるもののなかに起ちあがらうとしたとき、あたり一めん人間の死の渦の叫びとなつたとき、そして、それからもうちつづく飢餓に抗してなほも生きのびようとしたとき、何故にそれは生きのびようとしなければならなかつたのか、何がお前に生きのびよと命じてゐたのか――答へよ、答へよ、その意味を語れ!
原子爆弾の惨禍も、それが日本降伏までの時期のものならば、まだわれわれにとつて、描くことも描かれたことについ
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