らうか。空も山も青い田も、飢ゑてゐる者の眼には虚しく映つた。
 夜は燈火が山の麓から田のあちこちに見えだした。久振りに見る燈火は優しく、旅先にでもゐるやうな感じがした。食事の後片づけを済ますと、妹はくたくたに疲れて二階へ昇つて来る。彼女はまだあの時の悪夢から覚めきらないもののやうに、こまごまとあの瞬間のことを回想しては、ブルブルと身顫をするのであつた。あの少し前、彼女は土蔵へ行つて荷物を整理しようかと思つてゐたのだが、もし土蔵に這入つてゐたら、恐らく助からなかつただらう。私も偶然に助かつたのだが、私が遭難した処と垣一重隔てて隣家の二階にゐた青年は即死してゐるのであつた。――今も彼女は近所の子供で家屋の下敷になつてゐた姿をさまざまと思ひ浮かべて戦くのであつた。それは妹の子供と同級の子供で、前には集団疎開に加はつて田舎に行つてゐたのだが、そこの生活にどうしても馴染めないので両親の許へ引取られてゐた。いつも妹はその子供が路上で遊んでゐるのを見ると、自分の息子も暫くでいいから呼戻したいと思ふのであつた。火の手が見えだした時、妹はその子供が材木の下敷になり、首を持上げながら、「をばさん、助けて」
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