い静謐を湛へてゐるのだ。ふと、私はあの原子爆弾の一撃からこの地上に新しく墜落して来た人間のやうな気持がするのであつた。それにしても、あの日、饒津の河原や、泉邸の川岸で死狂つてゐた人間達は、――この静かな眺めにひきかへ、あの焼跡は一体いまどうなつてゐるのだろう。新聞によれば、七十五年間は市の中央には居住できないと報じてゐるし、人の話ではまだ整理のつかない死骸が一万もあつて、夜毎焼跡には人魂が燃えてゐるといふ。川の魚もあの後二三日して死骸を浮べてゐたが、それを獲つて喰つた人間は間もなく死んでしまつたといふ。あの時、元気で私達の側に姿を見せてゐた人達も、その後敗血症で斃れてゆくし、何かまだ、惨として、割りきれない不安が附纏ふのであつた。
食糧は日々に窮乏してゐた。ここでは、罹災者に対して何の温かい手も差しのべられなかつた。毎日毎日、かすかな粥を啜つて暮らさねばならなかつたので、私はだんだん精魂が尽きて食後は無性に睡くなつた。二階から見渡せば、低い山脈の麓からずつとここまで稲田はつづいてゐる。青く伸びた稲は炎天にそよいでゐるのだ。あれは地の糧であらうか、それとも人間を飢ゑさすためのものであ
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