、これだけでも半月は汽車が通じないことになる。その新聞には県下の水害の数字も掲載してあつたが、半月も列車が動かないなどといふことは破天荒のことであつた。
 広島までの切符が買へたので、ふと私は広島駅へ行つてみることにした。あの遭難以来、久振りに訪れるところであつた。五日市まではなにごともないが、汽車が己斐駅に入る頃から、窓の外にもう戦禍の跡が少しづつ展望される。山の傾斜に松の木がゴロゴロと薙倒されてゐるのも、あの時の震駭を物語つてゐるやうだ。屋根や垣がさつと転覆した勢をその儘とどめ、黒々とつづいてゐるし、コンクリートの空洞や赤錆の鉄筋がところどころ入乱れてゐる。横川駅はわづかに乗り降りのホームを残してゐるだけであつた。そして、汽車は更に激しい壊滅区域に這入つて行つた。はじめてここを通過する旅客はただただ驚きの目を瞠るのであつたが、私にとつてはあの日の余燼がまだすぐそこに感じられるのであつた。汽車は鉄橋にかかり、常盤橋が見えて来た。焼爛れた岸をめぐつて、黒焦の巨木は天を引掻かうとしてゐるし、涯てしもない燃えがらの塊は蜿蜒と起伏してゐる。私はあの日、ここの河原で、言語に絶する人間の苦悶を見
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