けた。その日収容所から始めて出て来たところだといふことであつた。……私が西田を見たのは、それから一ヶ月あまり後のことで、その時はもう顔の火傷も乾いてゐた。自転車もろとも跳ね飛ばされ、収容所に担ぎ込まれてからも、西田はひどい辛酸を嘗めた。周囲の負傷者は殆ど死んで行くし、西田の耳には蛆が湧いた。「耳の穴の方へ蛆が這入らうとするので、やりきれませんでした」と彼はくすぐつたさうに首を傾けて語つた。
九月に入ると、雨ばかり降りつづいた。頭髪が脱け元気を失つてゐた甥がふと変調をきたした。鼻血が抜け、咽喉からも血の塊りをごくごくと吐いた。今夜が危なからうといふので、廿日市の兄たちも枕許に集つた。つるつる坊主の蒼白の顔に、小さな縞の絹の着物を着せられて、ぐつたり横はつてゐる姿は文楽か何かの陰惨な人形のやうであつた。鼻孔には棉の栓が血に滲んでをり、洗面器は吐きだすもので真赤に染まつてゐた。「がんばれよ」と、次兄は力の籠つた声で励ました。彼は自分の火傷のまだ癒えてゐないのも忘れて、夢中で看護するのであつた。不安な一夜が明けると、甥はそのまま奇蹟的に持ちこたへて行つた。
甥と一緒に逃げて助かつてゐた級
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