溢れてゐた。尾道から広島へ引上げ、大手町で遭難したといふ婦人がゐた。髪の毛は抜けてゐなかつたが、今朝から血の塊りが出るといふ。姙つてゐるらしく、懶さうな顔に、底知れぬ不安と、死の近づいてゐる兆を湛へてゐるのであつた。
舟入川口町にある姉の一家は助かつてゐるといふ報せが、廿日市の兄から伝はつてゐた。義兄はこの春から病臥中だし、とても救はれまいと皆想像してゐたのだが、家は崩れてもそこは火災を免れたのださうだ。息子が赤痢でとても今苦しんでゐるから、と妹に応援を求めて来た。妹もあまり元気ではなかつたが、とにかく見舞に行くことにして出掛けた。そして、翌日広島から帰つて来た妹は、電車の中で意外にも西田と出逢つた経緯を私に語つた。
西田は二十年来、店に雇はれてゐる男だが、あの朝はまだ出勤してゐなかつたので、途中で光線にやられたとすれば、とても駄目だらうと想はれてゐた。妹は電車の中で、顔のくちやくちやに腫れ上つた黒焦の男を見た。乗客の視線もみんなその方へ注がれてゐたが、その男は割りと平気で車掌に何か訊ねてゐた。声がどうも西田によく似てゐると思つて、近寄つて行くと、相手も妹の姿を認めて大声で呼びか
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