、市電に乗替えた。市電は天満町まで通じていて、そこから仮橋を渡って向岸へ徒歩で連絡するのであった。この仮橋もやっと昨日あたりから通れるようになったものと見えて、三尺幅の一人しか歩けない材木の上を人はおそるおそる歩いて行くのであった。(その後も鉄橋はなかなか復旧せず、徒歩連絡のこの地域には闇市《やみいち》が栄えるようになったのである。)私達が姉の家に着いたのは昼まえであった。
 天井の墜《お》ち、壁の裂けている客間に親戚《しんせき》の者が四五人集っていた。姉は皆の顔を見ると、「あれも子供達に食べさせたいばっかしに、自分は弁当を持って行かず、雑炊食堂を歩いて昼餉《ひるげ》をすませていたのです」と泣いた。義兄は次の間に白布で被《おお》われていた。その死顔は火鉢の中に残っている白い炭を聯想《れんそう》さすのであった。
 遅くなると電車も無くなるので、火葬は明るいうちに済まさねばならなかった。近所の人が死骸《しがい》を運び、準備を整えた。やがて皆は姉の家を出て、そこから四五町さきの畑の方へ歩いて行った。畑のはずれにある空地《あきち》に義兄は棺もなくシイツにくるまれたまま運ばれていた。ここは原子爆
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