を走りつづけ、見馴れた芋畑や崖《がけ》の叢《くさむら》が窓の外に見えて来たとき、外はしきりに雨が降りつづいていた。まるで、それは堪えかねて、ついに泣き崩《くず》れてしまったものの姿だ。こんなにも悲しい、こんなにも悲しいのか、……何が? 冷え冷えとした真暗な底に突落されてゆく感覚が彼の身うちに喰込《くいこ》んで来る。こんなにも悲しい、こんなにも悲しいのか、何が……? この訳のわからぬ感傷は今かぎりのものなのだろうか、やがて別の日が訪れてくれば消え失せてしまうのだろうか……ぼんやりと彼がおもい惑っていると、ぼっと電灯がついて車内は明るくなった。と、灯のついている彼の家の姿が、びしょ濡《ぬ》れの闇《やみ》のなかにもすぐ描かれた。

「お母さん、お母さん」
 今、目ざめたばかりの彼はふと隣室で妻のかすかな声をきくと、寝床を出て台所の方にいる母親に声をかけた。それから、その弱々しいなかにも何か訴えを含んでいる声にひきつけられて、彼は妻の枕頭《ちんとう》にそっと近寄ってみた。妻の顔は昨夜からひきつづいている不機嫌《ふきげん》な苛々《いらいら》したものを湛《たた》えていた。だが、それは故意にそうして
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