た夢の内容を語りたい誘惑を覚えた。しかし、それを話せば、頭上に迫っている更に酷《きび》しいものの印象を強めるだけのことであった。
『そのとき天の方では、日の沈む側に雲が叢《むらが》っていた。その一つは凱旋門《がいせんもん》に似ていて、次のはライオンに、三番目のは鋏《はさみ》に似ている。……雲の後から幅のひろい緑色の光が射《さ》して、空の央《なか》ばまで達している。暫くするとこの光は紫色の光が来て並ぶ。その隣には金色のが、それから薔薇色《ばらいろ》のが。が空はやがて柔かな紫丁香《ライラック》色になる。この魅するばかりの華麗な空を見て、はじめ大洋は顰《しか》め面《つら》をする。が、間もなく海面も、優しい、悦ばしい、情熱的な――とても人間の言葉では名指《なざ》すことの出来ぬ色合になる』
彼はとても人間の言葉では名指すことの出来ぬ情熱的な色合をしきりに想い浮べていた。すると目の前に、鱶《ふか》の餌食《えじき》と化するはかない人間の姿と、チェーホフの心の色合が海底のように見えて来るのだった。そして、三年前彼がはじめて「グーセフ」を読んだ時から残されている骨を刺すような冷やかなものと疼《うず》く
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