けがひとり不思議に助かっている。おおらかな感銘の漾《ただよ》っているのも束《つか》の間《ま》で、やがて四辺は修羅場《しゅらじょう》と化す。烈しい火焔《かえん》の下をくぐり抜け、叫び、彼は向側へつき抜けて行く。向側へ。この不思議な装置の重圧する機械はゆるゆると地下を匐い、それ故《ゆえ》、全身はさかしまに吊《つる》されながら暗黒の中を匐って行く。苦しい喘《あえ》ぎと身悶《みもだ》えの末、更に恐しい音響が破裂する。ここですべては消滅し、やがて再び気がつくと、彼はある老練な歯科医の椅子の上に辿《たど》り着いているのであった。
 ――その日、彼はそれらの夢を小さな手帳に書きとめておいた。その手帳は、日記の役割をしていたが、気象に関する記録と夢の採集のほかは、故意に世相への感想を避けていた。だが夢ははっきりとある感想を述べているのでもあった。誰しもが避け難い破滅を予感し、ひそかに救済を祈っているのではあるまいか。その夢の最後に現れて来る歯科医は妻も知っている人物であった。少しでも患者が痛そうな表情をすると手を休め、その癖、少しずつ確実に手術を為《な》し遂げてゆく巧みな医者であった。ふと、彼は妻にみ
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