に語りつたえた。そうして、妻の焦躁《しょうそう》は無言の時、一際《ひときわ》はっきりと彼の方へ反映して来るようであった。その高い額の押黙って電灯に晒《さら》されている姿が、今も何となく彼には堪えがたくなる。彼はふと思いついたように座を立って、毎日の習慣である冷水摩擦の用意にとりかかる。タオルを堅く洗面器の上で絞ると、シイツの上に両足を投出している妻の方へ持って行き、足さきの方から皮膚をこすって行くのであったが、膝《ひざ》から脇腹《わきばら》の方へ進むに随《したが》って、妻の下半身の表情がおもむろに現れて来る。彼はそれを愛撫《あいぶ》するというよりも、何か器具の光沢を磨《みが》いているような錯覚に陥りながら、やがて摩擦は上半身へ移って行く。すると、ここにはまるで少女のように細っそりした胸があり、背の方の筋肉は無表情の儘であるが、やがて首筋のあたりを撫《な》でて行くと、妻は頤《あご》を反《そ》らして、快げに眼を細めている。こうして、摩擦は完了する。この肉体的接触の後の爽やかさが、どうやらお互の気分をかすかに落着かすのではあったが……。

 青黒い水の上を滑《すべ》って行く汽船が、悲しい情緒
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