…悼詞が済んで焼香が始まると、やがて私の順番も廻つて来た。私は祭壇に近づくと正面に飾つてある写真を灼けつくやうに見上げた。が、それが私の知つてゐた彼かどうか、写真は茫として不明瞭な印象だつた。と、その瞬間、私は擦れ違ふ急行列車の窓のこちら側から向側の窓をちらつと眺めてゐるのではないかとおもへた。

     二

 ある日曜日の午後、私は夕方の外食時間にはまだ少し間があつたので、駿河台下から明大裏手にあたるひつそりとした坂路をひとりぶらぶら歩いてゐた。私が今まで生きのびて行けたのはまるで奇蹟ではないかとおもはれる。昨年の今頃は途方に暮れながら真空のなかを泳ぎ廻つてゐたのだが、たまたま私はある知人の厚意でその人が所有してゐる神田の事務所の一室へ押しつまつたその年の暮に入れてもらふことができた。それ以来、私はずつとここにゐる。生活が追ひつめられてゐることに於ては今とても変りはないのだが、生きて行くといふことは、私にとつて絶えず何ごとかに堪へ、何ごとかを祈りつづけることなのだらうか……私は歩きながらそんなことを考へてゐた。と、私の目にふれる壁の上の赤らんだ蔦の葉や枯れのこる葉鶏頭が幻か何かのやうにおもへて来た。しだいに私はひつそりとした空気のなかに、もう何も思はず何も考へたくなかつた。が、ふと、何かもの狂ほしい祈りのやうなものが私の胸に高く湧き上つて来た。
 その翌々日、私は小村菊夫の死亡通知を受取つた。私が静かな、しかし、もの狂ほしい気持で歩いてゐた美しい日曜日の日に、彼は死んで行つたことになるのだつた。私はその母堂のわななく指で書かれたらしい葉書を見ると、凝としてゐられなくなつた。小村菊夫とはたつた一度しか逢つたことのない間柄だが、とにかく悔みに行つておきたかつた。
 身支度をするとすぐ私は出掛けて行つた。地図で番地は凡そ調べてゐたが、中野駅で降りると、人に訊ね訊ねして、ぐるぐると小路を歩き廻つた。ひつそりとした小路の奥の突あたりの玄関に私はたどりついた。障子が開放たれ小さな座敷には七八人身内の人らしい正座の姿が見えた。今、私は告別式に間にあつて来てゐるのが分つた。が、座敷の一番端に坐つた時、それは私が今迄急いでせかせか歩いて来たためかもしれないが、急にパセチツクなものが湧上らうとした。牧師の静かな讃美歌が私を少し鎮めてくれるやうだつた。やがて私も祭壇の前に膝まづく番
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