して、時々、無感動に蠢めいてゐる。あれはもう脅迫などではなささうだ。もつともつとどうにもならぬ無限の距離から、こちら側へ静かにゆるやかに匍ひ寄つてくる憂愁に似てゐる。それから、あの焼け失せてしまつた家の夢にしたところで、僕の夢のなかでは僕の坐つてゐた畳のところとか、僕の腰かけてゐた窓側とかいふものはちよつとも現れて来ず、雨に濡れた庭石の一つとか、縁側の曲り角の朽ちさうになつてゐた柱とか、もつともつとどうにもならぬ侘しげなものばかりが、ふはふはと地霊のやうにしのび寄つてくる。僕と夢とあの惨劇を結びつけてゐるものが、こんなに茫々として気が抜けたものになつてゐるのは、どうしたことなのだらうか。

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〈更にもう一つの声がゆるやかに〉
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 ……わたしはたつた一人生き残つてアフリカの海岸にたどりついた。わたしひとりが人類の最後の生き残りかとおもふと、わたしの躯はぶるぶると震へ、わたしの吐く息の一つ一つがわたしに別れを告げてゐるのがわかる。わたしの視てゐる刹那刹那がすべてのものの終末かとおもふと、わたしは気が遠くなつてゆく。なにものももうわたしで終り、
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