捨てたい。だが、それらはあつた、それらはあつた、僕は錯乱してゐるのだらうか。僕のまはりをぞろぞろ歩き廻つてゐる人間……あれは僕ではない。僕ではない。だが、それはあつた。それらはあつた。僕の頭のなかを歩き廻つてゐる群衆……あれは僕ではない。僕ではない。だが、それらはあつた。それらはあつた。
 それらはあつた。それらはあつた。と、ふと僕のなかで、お前の声がきこえてくる。昔から昔から、それらはあつた、と……。さうだ、僕はもつともつとはつきり憶ひ出せて来た。お前は僕のなかに、それらを視つめてゐたのか。僕もお前のなかに、それらを視てゐたのではなかつたか。救ひはないのか、救ひはないのか、と僕たちは昔から叫びあつてゐたのだらうか。それだけが、僕たちの生きてゐた記憶ではなかつたのか。だが救ひは。僕にはやはりわからないのだ。お前は救はれたのだらうか。僕にはわからない。僕にわかるのは救ひを求める嘆きのなかに僕たちがゐたといふことだけだ。そして僕はゐる、今もゐる、その嘆きのなかにつらぬかれて生き残つてゐる。そしてお前はゐる、今もゐる、恐らくはその嘆きのかなたに……。
 救ひはない、救ひはない、と、ふと僕のな
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