悶えて行つた無数の隣人たちよ。おんみたちの無数の知られざる死は、おんみたちの無限の嘆きは、天にとどいて行つたのだらうか。わからない、わからない、僕にはそれがまだはつきりとわからないのだ。僕にわかるのは僕がおんみたちの無数の死を目の前に見る前に、既に、その一年前に、一つの死をはつきり見てゐたことだ。
 その一つの死は天にとどいて行つたのだらうか。わからない、わからない、それも僕にはわからないのだ。僕にはつきりわかるのは、僕がその一つの嘆きにつらぬかれてゐたことだけだ。そして僕は生き残つた。お前は僕の声をきくか。
 僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。僕はここにゐる。僕はこちら側にゐる。僕はここにゐない。僕は向側にゐる。僕は僕の嘆きを生きる。僕は突離された人間だ。僕は歩いてゐる。僕は還るところを失つた人間だ。僕のまはりを歩いてゐる人間……あれは僕 で は な い。
 僕はお前と死別れたとき、これから既に僕の苦役が始ると知つてゐた。僕は家を畳んだ。広島へ戻つた。あの惨劇がやつて来た。飢餓がつづいた。東京へ出て
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