電燈はつかなかつた。雨が、風が吹きまくつた。わたしはパタンと倒れさうになる。
足が、足が、足が、倒れさうになるわたしを追い越してゆく。またパタンと倒れさうになる。足が、足が、足が、倒れさうになるわたしを追い越してゆく。息子は父のネクタイを闇市に持つて行つて金にかへてもどる。わたしは逢ふ人ごとに泣ごとを云つておどおどしてゐた。だがわたしは泣いてはゐられなかつた。泣いてゐる暇はなかつた。おどおどしてはゐられなかつた。走りつづけなければ、走りつづけなければ……。わたしはせつせつとミシンを踏んだ。ありとあらゆる生活の工夫をつづけた。わたしが着想することはわたしにさへ微笑されたが、それでもどうにか通用してゐた。中学生の息子はわたしを励まし、わたしの助手になつてくれた。走りつづけなければ、走りつづけなければ……。わたしの夢のなかでさへさう叫びつづけた。
突然、パタンとわたしは倒れた。わたしはそれからだんだん工夫がきかなくなつた。わたしはわたしに迷はされて行つた。青い三日月が焼跡の新しい街の上に閃いてゐる夕方だつた。わたしがミシン仕事の仕上りをデパートに届けに行く途中だつた。わたしは雑沓のなかで
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