うな恰好の黒い格子の二階建が三四軒並んでゐたが、その家が何といふことなしに雄二には意地の悪い家のやうに思へた。そこの屋根の上から日蔭になつてゐる青空が魔のやうに覗いてゐた。そして、鏡のやうな空を黒い小鳥が横切つて行くのが、怕く思へた。雄二の家の在る方の側の岸は、家や樹木に日があたつてゐて、穏やかな眺めだつた。今、そちらの側に家並が杜切れて土手の広場が見上げられた。石崖の上は茫々と雑草が茂つてゐて、大きな樫の木は日の光を吸つてぐつたりした姿で空に聳えてゐた。すると白壁の土蔵が現れて樫の木の頭だけを空に残した。次いで枝ぶりのいい松の生えてゐる庭があつた。枳垣の透間から罌粟畑が見えた。硝子張りの二階の縁側には籐の寝椅子があつて、女の人がそこからぼんやりと川を見下してゐた。二階の軒の日覆はふわふわ動いてゐるのだつた。それから今度はまた違ふ家の二階が見えた。誰もゐないのか白い障子が立てきつてあつてアカシアの花が揺いでゐた。
そのうちに、ドドドドドと軽い響が伝はつて、K橋が見えて来た。水の上に映るK橋はドドドドと軽く揺れてゐるのだつた。雄二は自分のよく知つてゐる橋へ来たので、少し嬉しくなつた。何時も父や姉に連れられて、あのK橋の上から見下してゐたところを、これから通るのだつた。まづ、頭の上を、水道の大きな黒い管が過ぎた。それから一寸空の隙間があつて、間もなく橋の下に這入つた。橋桁を支へる石の台と台の間を舟は通つて行つた。その石の台のまはりには土があつて、黒ずんだ草が紐のやうにさがつてゐるのを雄二は不思議に思つた。水の深さを計る目盛をした白塗の棒がつき立つてゐた。その辺は深く青々としてゐた。頭の上を通つて行く下駄の音が夢のやうであつた。そして舟はK橋を抜けた。雄二は何か吻として母や皆の顔を見た。皆は黙つたまま川を眺めてゐるのだつた。日に焦けた顔をした船頭は前と変らぬ顔をしてゐた。
「気分がわるいのなら此処で下してもらふといい。」と、その時大吉は雄二にちよつと調弄ひ出した。
「馬鹿」と雄二は腹を立ててそつぽを向いた。すると向岸の橋の袂にある花嫁を描いた大きな看板が眼に映つた。その看板はこちらの岸の大学眼薬のお爺さんと対ひ合つてゐるのだつた。眼薬の看板のところには無花果の葉が黒々と茂り、石崖から水の上に影を落してゐた。間もなく、舟は牡蠣船の繋いであるところへ来た。大きな屋根のある家
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