原民喜

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)汚斑《しみ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)厭になった[#「厭になった」は底本では「厭になっだ」]
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 飛行機を眺めてゐたら朝子の頬にぬらりと掌のやうな風が来て撫でた。ふと、そこには臭ひがあって、彼女の神経は窓に何か着いてゐるのではないかと探った。とどかないところにあって彼女を嘲弄してゐるのは何だらう、銀翼も今朝は一寸も気分を軽くはしてくれない。その時天井の板がピンと自然にはじける音をたてた。人気のない家にゐるのが意識されて、視るとやはりゐた。蟻がもう這ひ出す季節なのだった。季節と云ふ厭な聯想を抹殺するために朝子は掌にしてゐる雑巾で蟻を潰した。
 それから不図思ひ出したやうに机の上を拭き出すと、机の汚斑《しみ》が気にかかり出した。雑巾の裂目が厭になった[#「厭になった」は底本では「厭になっだ」]。さうなると、もう彼女は自分が厭な感覚に愚弄されてゐるのを[#「愚弄されてゐるのを」は底本では「愚弄さてゐるのを」]はっきり自覚した。そして次々に増加し、増長して来る無数の陰影どもは
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