ぼんやりと、この世の片隅に坐つてゐることだらう。僕は喫茶店を出て、また雪の路を歩いて行く。あまり人通りのない路だ。向から跛の青年がとぼとぼと歩いてくる。僕はどうして彼がわざわざこんな雪の日に出歩いてゐるのか、それがぢかにわかるやうだ。(しつかりやつてください)すれちがひざま僕は心のなかで相手にむかつて呼びかけてゐる。
我々の心を痛め、我々の咽喉を締めつける一切の悲惨を見せつけられてゐるにもかかはらず、我々は、自らを高めようとする抑圧することのできない本能を持つてゐる。(パスカル)
まだ僕が六つばかりの子供だつた、夏の午後のことだ。家の土蔵の石段のところで、僕はひとり遊んでゐた。石段の左手には、濃く繁つた桜の樹にギラギラと陽の光がもつれてゐた。陽の光は石段のすぐ側にある山吹の葉にも洩れてゐた。が、僕の屈んでゐる石段の上には、爽やかな空気が流れてゐるのだつた。何か僕はうつとりとした気分で、花崗石の上の砂をいぢくつてゐた。ふと僕の掌の近くに一匹の蟻が忙しさうに這つて来た。僕は何気なく、それを指で圧へつけた。と、蟻はもう動かなくなつてゐた。暫くすると、また一匹、蟻がやつて来た。僕はまた
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