た。その紙片を見せると、妻はしばらく黙って考えていた。
「診察なら、津軽先生にしてもらえばいいでしょう」と、妻はすぐにまた晴れやかな調子にかえった。
「お天気がいいので訪《たず》ねて来てくれたのかと思ったら、そんなことの相談でしたの」と妻は軽く諧謔《かいぎゃく》をまじえだした。「御飯を食べてお帰りなさい、久し振りに旦那《だんな》さんと一緒に御飯なりと頂きましょうよ」
妻は努めて、そして無造作に、いま重苦しい考を追払おうとしていた。……赤いジャケツを着た、はち切れそうな娘が、運搬車を押して昼食を持って来た。糖尿試験食の皿と普通の皿と、ベッド・テーブルの上に並べられると、御馳走《ごちそう》のある試験食の方の皿から、普通食の皿へ、妻は箸《はし》でとって彼に頒《わか》つのだった。
翌日、約束の時間に出掛けて行くと、妻のところに立寄った津軽先生は、軽く彼に会釈して、廊下の外へ彼を伴なって行った。医局の前を通りすぎて、広い部屋に入ると、彼は上衣《うわぎ》のボタンをはずした。妻のひどく信頼している津軽先生は、指さきから、ものごしにいたるまで、静かにととのった気品があった。一度は軍医として出征し
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