《こころほう》けした旅であった。優しいはずの湖水の眺めが、まっ暗な幻影で覆《おお》われていた。殆《ほとん》ど自殺未遂者のような顔つきで、彼はそのひとり旅から戻って来た。すると、間もなく彼の妻が喀血《かっけつ》したのだった。四年前の秋のことであった。妻の病気によって、あのとき、彼は自らの命を繋《つな》ぎとめたのかもしれなかった。
久し振りに爽《さわ》やかな光線が庭さきにちらついていたが、彼は重苦しい予想で、ぐったりとしていた。再検査の紙が彼のところにも送附されて来たのだった。それは、ただ医師の診断を受けて、書込んでもらえばよかったのだが、そういうものが舞込んで来ることに、彼は容易ならぬものを感じた。彼は昨日も訪れたばかりの妻のところへ、また出掛けて行きたくなった。
街は日の光でひどく眩《まぶ》しかった。それは忽《たちま》ち喘《あえ》ぐように彼を疲らせてしまった。だが、病院の玄関に辿《たど》り着くと、朝の廊下は水のように澄んでいた。ひっそりとした扉をあけて、彼が病室の方へ這入《はい》って行くと、妻は思いがけない時刻にやって来た彼の姿を珍しげに眺め、ひどく嬉《うれ》しそうにするのであっ
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