畳んだ便箋《びんせん》に鉛筆で細かに、こまかな心づかいが満たされていた。(あなたがしょんぼりと廊下の方へ出てゆかれた後姿を見送って、おもわず涙が浮びました。体の方は大丈夫なのでしょうね、余計な心配をかけて済みませんでした、……)努めて無表情に読過そうとしたが、彼は底の方で疼《うず》くようなものを感じた。
こうした手紙をもらうようになったのか――それは彼にとっては、やはり新鮮なおどろきであった。妻は入院の費用にあてるため、郷里に置いてある箪笥《たんす》を本家で買いとってもらうことを相談した。彼がさびしく同意すると、妻は寝たままで、一頻《ひとしき》り彼の無能を云うのであった。十年前嫁入道具の一つとして郷里の土蔵に持込まれたまま、一度も使用されず、その箪笥がひと手に渡るのは彼にとっても身を削《そ》がれるような気持だった。だが、身の落目をとりかえすため奮然として闘《たたか》うてだてが今あるのだろうか。彼は妻の言葉を聞きながら、薄暗くなってゆく窓の外をぼんやり眺《なが》めていた。おぼろな空のむこうに、遙《はる》かな暗い海のはてに、火を吐いて沈んでゆく艨艟《もうどう》や、熱い砂地に晒《さら》され
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