いが、私を待伏せてゐた都会は、やはり、飢ゑと業苦の修羅でしかなかつた。
どうかすると、私は、まだあの路を歩いてゐる時の気持が甦つてくる。春さきの峰にほんのりと雲がうつろひ、若草の萌えてゐる丘や畑や清流は、田園交響楽の序章を連想さすのだつた。ここでゆつくり腰を下ろし、こまかに眼を停めて景色を眺めることができたらどんなにいいだらう。だが、私の眼は飢ゑによつて荒んでゐたし、心は脱出のことにのみ奪はれてゐた。それに、あの惨劇の灼きつく想ひが、すぐに風物のなかにも混つて来る。
それから、あの川口へ近づくあたり、松が黒々と茂つてゐて、鉄道の踏切がある。そこへ来かかると、よく列車がやつて来るのに出遭ふ。それは映画のなかに出て来る列車のやうにダイナミツクに感じられることがあつた。いつの日にか、あの汽車に乗つて、ここを立去ることができるのだらう――私は少年のやうにわくわくしたものだ。
広島ゆきの電車は、その汽車の踏切から少し離れたR駅に停る。その駅では、切符切のにやけ男が、いつも「君の気持はよくわかる」と歌つてゐた。それが、私にはやりきれない気持を伝へた。足首のところを絞るやうになつてゐる軍のズボ
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