々をそれとなく観察し、できるだけ理解しようとはした。だが、私がその村に居たのは半歳あまりだつたし、農民との接触も殆どなかつたので、街で育つた私には、何一つ掴むところがなかつた。もともと、この村は、海岸の町へ出るに一里半、広島から隔たること五里あまり、言語も、習慣も、私たちとさう懸隔れてゐる訳ではなかつたが、それでゐてこの村の魂を読みとることは、トルストイの描いた農民を理解することよりも困難ではないかと思はれた。
 厠の窓から覗くと、鶏小屋の脇の壁のところに陣どつて、せつせと藁をしごいてゐる男がゐた。雨の日でも同じ場所で同じ手仕事をつづけてゐたが、その俯き加減の面長な顔には、黒い立派な口鬚もあり、ちよつと、トーマスマンに似てゐた。概して、この村の男たちの顔は悧巧さうであつた。それは労働によつて引緊まり、己れの狭い領域を護りとほしてゆく顔だつた。若い女たちのなかには、ちよつと、人を恍惚とさすやうな顔があつた。その澄んだ瞳やふつくらした頬ぺたは、殆どこの世の汚れを知らぬもののやうにおもはれた。よく発育した腕で、彼女たちはらくらくと猫車を押して行くのであつた。だが、年寄つた女は、唇が出張つて、
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