。何でも買ふなら今のうちだよ。黒柿の素敵な箪笥ぢや。うんにや、楓の木ぢやつたかな」と、彼は相変らず阿房めいた調子を混じへながら、巧みに話をもちかけてゆくのであつた。
脅迫
私はひどい下痢に悩まされながら、二階でひとり寝転んでゐた。すると、階下の縁側のところに誰だか近寄つて来る足音がした。
「今晩は、今晩は、森さんはここですかいの」その声ははじめから何か怨みを含んでゐるらしい調子であつたが、どうしたわけか、嫂が返事をするのが、少し暇どつてゐた。「森さん、森さん」と、相手の声はもう棘々してゐたが、やがて嫂が応対に出たらしい気配がすると、
「なして、あんたのところは当番に出なかつたのですか」と、いきなり嚇と浴せかけるのであつた。
国民学校の校舎が重傷者の収容所に充てられ、部落から毎日二名宛看護に出ることになつてゐた。が、嫂はいま、死にさうになつてゐる息子の看病に附ききりだつたし、次兄も火傷でまだ動けない躰だし、妹はその頃、広島へ行つてゐた。……何か弁解してゐる嫂の声はききとれなかつたが、激昂してゐる相手の声は、あたり一杯に響き亘つた。
「ええツ! 義務をはたさない家には配給ものも
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