ながら進んだ。村道を突切り、田の小径を渡り、山路にさしかかると、棺を担ふ竹がギシギシと音をたてた。火葬場は山の中腹にあつた。いま、ここまで従いて来る男たちに私が気づくと、それはみんな年寄ばかりなのだつた。
なかの二三人が棺を焼場の中に据ゑ、その下に丸太を並べ、藁を敷いて点火した。火は鉄の扉の向で燃えて行つた。
「それではあとはよろしくお願ひします」と、棺を担いで来た老人と若い未亡人がさきに帰つて行つた。人々は松の木蔭の涼しいところに腰を下ろして、暫く火の燃え具合を眺めてゐるのであつた。鉄の扉からは今も熾んに煙が洩れた。
「ほら、まるで鯔《ぼら》を焼くのと同じことだ。脂がプスプスいつてゐる」と誰かが気軽な調子で云つた。すると、一人が扉のところへ近づいて更に薪を継ぎ足した。暫くみんなは莨を喫ひながら、てんでに勝手なことを喋り合つてゐた。
「よく燃えてゐる。この調子なら、夜はお骨拾ひに行けるでせう」と一人の年寄は満足さうに呟いた。「では、そろそろ引あげませうか」と誰かがいふと、みんなは早速腰を上げた。淡々として、人々は事を運び、いくぶん浮々した調子すら混つてゐる。広島の惨劇がまだ目さきにちらつく私には、これは多少意外な光景であつた。だが、かうした不幸を扱ふに、今はかうした軽い調子によるよりほかないのかもしれない。すたすたと、坂路を降つて行く年寄たちは、頻りにふり仰いでは頭上を指さす。見ると、松の枝のあちこちに小さな竹筒が括り附けてあるのであつた。一人の年寄は態と立留まつて、まるでそれをはじめて眺めるやうに、
「ははあ、なるほど、松根油か。松根油が出るから日本は勝つさうな」と、からからとわらひだした。この村の人々が松根油でさんざ苦しめられてゐるらしいことを、ふと私はさとるのであつた。
農会
はじめて米殻通帳を持つて、その農会へ行つた時、そこの土間の棚にレモンシロツプや麦藁帽子、釦などが並べてあるのを私はじろじろと眺めた。「あれは売つてもらへるのですか」と女事務員に訊ねると頷く。そこで、私は水浸しになつてカチカチに乾きついた財布からパサパサになつてゐる紙幣をとり出し、毛筆とシロツプを求めた。「あそこではこんなもの売つてくれるよ」と私はめづらしさのあまり妹に告げると、妹も早速出掛け、シロツプや釦を買つてもどる。「ほんとうに、お金を出せばものが買へるなんて、まるで夢の
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