と笑ひだした。
「どうしたのだ、黙つてつつ立つてゐたのでは分らないよ」
 さきほどから、そこの窓口に紙片を差出して転入のことを依頼してゐる私は、ちよつと度胆を抜かれた。
「これお願ひしたいのですが、さうお願ひしてゐるのですが」
 しばらくすると、その男は黙つて、その紙片を机上に展げた。それから、帳面に何か記入したり、判を押したりしだした。反古のやうな紙に禿びたペンで奇妙な文字を記入し、太い指さきで算盤を弾いては乱暴な数字を書込んでゐる。じつと窓口でそれを視入つてゐる私は、何だかあれで大丈夫なのかしらと、ひどく不安になるのであつた。だが、とにかく、かうして転入の手続は済んだ。受取つた米殻通帳その他は、その日から村で通用するやうになつた。

 私をおどろかしたその老人は、村の入口の小川の曲り角とか、畑道で、ひよつくり出逢ふことがあつた。いつも鍬を肩にしてぶらぶらと歩いてゐる容子は――畑に釣をしに行くやうな風格があつた。
 その後、この村から私が転出する際も、私はまたその老人の手を煩はした。老人は滅多に役場に姿を現さず主に畑を耕してゐるのだつたが、その日、村道の中ほどを悠然と歩いてゐる老人の姿を見つけると、私はやにはに追ひ縋つて、転出のことを頼んだ。村役場の机で、老人は転出証明を書いてくれた。「東京への転出はどうもむつかしいといふことだがな……」と老人は首を捻りながら、とにかくそれを書いてくれたのである。

  火葬

「何とも御愁傷のことと存じます」そこの座敷へ上り誰に対して云ふともなしに発した、この紋切型の言葉が、ぐいと私の胸にはねかへつて来て、私は悲しみのなかに滅り込んで行きさうになつた。これはいけない、と私はすぐに傍観者の気持に立還らうとした。広島で遭難してから五日目に、その男は死んでしまつた。この村へ移つて四日目に、私はその葬式に加はつてゐるのだつた。
 今あたりを見廻すと、村の人々は、それほどこの不幸に心打たれてゐるやうにはおもへなかつた。みんながいま頻りに気にしてゐることは、空襲警報中なので出発の時刻が遅れることであつた。榊や御幣のやうなものが、既にだいぶ前からそこの縁側に置いてあつた。しばらくすると、警報が解かれた。すると、人々は吻としたやうに早速それらを手に手に取つて、男たちは路ばたに並んだ。棺は太い竹竿に通されて、二人の年寄に担がれた。それが先頭を揺れ
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