なか元気さうな人です。古いことをいろいろ聞かされました。そこの家は戦禍を免れ息子は九州の方に居て今は夫妻きりの暮しです。で、もし御上京の折など宿にお困りでしたら、米を御持参になれば宿位は貸してあげるから、さう伝へておいてくれとのことでした。
 牛込弁天町 一三五    増岡登三郎
 もつともまだ東京見物は陰惨の域を出ないでせう。有楽町駅のコンクリの上にも上野公園の石段の上にも赤ん坊を抱へた女がぽかんとした顔でねそべつて居ります。銀座は綺麗になつたやうですが全体としてまだまだ焼跡のままのところが多いやうです。
 それではみなさんによろしく。
[#地から3字上げ]十月十三日

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史朗君へ

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 ※[#丸1、1−13−1]大きいやうで小さく小さいやうで大きいものは
 ※[#丸2、1−13−2]一ぺんおじぎをすれば四五へんおじぎをしてもらへることがあるがなに(答はうらにある)
 答 ※[#丸1、1−13−1]原子爆弾 ※[#丸2、1−13−2]駅で他人におじぎをしてタバコの火を貸りてタバコを吸つて居れば、すぐ誰かが、また火をおかし下さいと云つてお
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