が近頃は休暇なのでまあ昼寝などしてゐる。八月六日もすぐだが、その日広島では復興祭があり、録音を巴里に放送するさうだね。一寸行つてみたいやうだ。去年の今日は浜松艦砲射撃、去年のこの頃は元気で饒津へ逃げて行つたものだね。
開業も近いさうだが御発展を祈つておく。皆様によろしく。美樹君はよく遊びに来るかしら。江波ダンゴだつて今から思へば御馳走だよ。
[#地から3字上げ]七月三十日
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●昭和二十一年四月 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣(長兄)宛
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先日はいろいろ御世話になりました。七時二十五分広島発の列車は大竹から、復員列車として変更されてゐたので、大変な混み方でしたが、とにかく無事で東京へ参りました。来てみれば東京はうんざりさすものと何か新しく期待さすものとに満ちてゐるやうです。荷物も全部無事で届きました。転入は転出証明だけでは駄目なので、一寸暇どるやうです。とりあへず第一報まで。美樹君によろしく。早くやつて来いと云つて下さい。
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●昭和二十一年五月七日 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣宛
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その後お変りございませんか。今年はいつまでも寒いやうですね。今日は結構なもの有難うございました。五、六月の食糧危機を切抜ければあとは少しは楽になるだらうと観測されて居ります。近所で発疹チブスが出たのでDDT(殺虫剤)を振りかけられ部屋中粉だらけになりました。注射もしました。
[#地から3字上げ]五月七日
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●昭和二十一年七月 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣宛
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拝啓 その後は御無沙汰致して居りましたが御元気のことゝ存じます。
美樹君も帰省してゐるので、こちらの様子も御聞のことゝ思ひますが、何分先月は全く餓死の一歩手前まで追ひつめられ心身ともに衰弱してゐました。それでつい恭子に無心なぞしましたが、すぐ後でいけなかつたと思ひました。
こんどの小切手有難くいただいておきます。
ズツクと蚊帳はたしかに受取りました、あの際すぐ礼状差出したのですがハガキだつたので届かなかつたのでせう、出したハガキが途中で紛失する例は再三
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