今、音もなく崩れ墜ちてゆくようだった。彼はぼんやりと畳の上に蹲《うずくま》っていた。
それは樹木がさかさまに突立ち、石が割れて叫びだすというような風景ではなかった。いつのまにか日が暮れて灯のついた六畳には、人々が集って親しそうに話しあっていた。……東京からやって来た映画会社の友人は、彼のすぐ横に坐っていた。ことさら悔みを云ってくれるのではなかったが、彼にはその友人が側に居てくれるというだけで気が鎮《しず》められた。床の間に置かれた小さな仏壇のまわりには、いつのまにか花が飾られて、蝋燭《ろうそく》の灯が揺れていた。開放たれた縁側から見ると、小さな防空壕《ぼうくうごう》のある二坪の庭は真暗な塊《かたま》りとなって蹲っていた。その闇《やみ》のなかには、悲しい季節の符号がある。彼が七年前に母と死別れたのも、この季節だった。三日前に、「きょうはお母さんの命日ね」と妻は病床で何気なく呟《つぶや》いていたのだが。……母を喪《うしな》った時も、暗い影はぞくぞくと彼のなかに流れ込んで来た。だが、それは息子《むすこ》としてまだ悲しみに甘えることも出来たのだ。だが今度は、彼はこれからさきのことを思うと、た
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