死について
原民喜

 お前が凍てついた手で
 最後のマツチを擦つたとき
 焔はパツと透明な球体をつくり
 清らかな優しい死の床が浮び上つた

 誰かが死にかかつてゐる
 誰かが死にかかつてゐる と、
 お前の頬の薔薇は呟いた。
 小さなかなしい アンデルゼンの娘よ。

 僕が死の淵にかがやく星にみいつてゐるとき、
 いつも浮んでくるのはその幻だ

 広島の惨劇は最後の審判の絵か何かのやうにおもはれたが、そこから避れ出た私は死神の眼光から見のがされたのではなかつた。死は衰弱した私のまはりに紙一重のところにあつた。私は飢ゑと寒さに戦きながら農家の二階でアンデルゼンの童話を読んだ。人の世に見捨てられて死んでゆく少女のイメージの美しさが狂ほしいほど眼に沁みた。蟋蟀のやうに瘠せ衰へてゐる私は、これからさきどうして生きのびてゆけるのかと訝りながら、真暗な長い田舎路をよく一人とぼとぼ歩いた。私も既に殆ど地上から見離されてゐたのかもしれないが、その暗い地球にかぶさる夜空には、ピタゴラスを恍惚とさせた星の宇宙が鳴り響いてゐた。
 その後、私は東京に出て暮すやうになつたが、死の脅威は更にゆるめられなかつ
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