た。滔々として押寄せてくる悪い条件が、私から乏しい衣類を剥ぎ、書籍を奪ひ、最後には居住する場所まで拒んだ。
だが、死の嵐はひとり私の身の上に吹き募つてゐるのでもなささうだ。この嵐は戦前から戦後へかけて、まつしぐらに人間の存在を薙ぎ倒してゆく。嘗て私は暗黒と絶望の戦時下に、幼年時代の青空の美しさだけでも精魂こめて描きたいと願つたが、今日ではどうかすると自分の生涯とそれを育てたものが、全て瓦礫に等しいのではないかといふ虚無感に突落されることもある。悲惨と愚劣なものがあまりに強烈に執拗にのしかかつてくるからだ。もともと私のやうに貧しい才能と力で、作家生活を営もうとすることが無謀であつたのかもしれない。もし冷酷が私から生を拒み息の根を塞ぐなら塞ぐで、仕方のないことである。だが、私は生あるかぎりやはりこの一すぢにつながりたい。
それから「死」も陰惨きはまりない地獄絵としてではなく、できれば静かに調和のとれたものとして迎へたい。現在の悲惨に溺れ盲ひてしまふことなく、やはり眼ざしは水平線の彼方にふりむけたい。死の季節を生き抜いて来た若い世代の真面目な作品がこの頃読めることも私にとつては大きな慰藉
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