の耳にひびく。僕の頭のなかの状態はこのアパートのどうにもならぬ疵だらけの姿と似て来る。どうにもならぬ人間たちが朽ちかかつた階段を降りて巷へ出て行く。どうにもならぬ人間の群はぞろぞろぞろぞろ駅の方で押合つてゐる。さうした人間たちは、混乱の電車の中やマーケツトに、お互の符牒と動物力で僕と無関係に生存してゐる。そして、さうした人間たちはいつも土足で僕の頭のなかを踏みにじるのだ。僕の頭には次第に訳のわからぬ怒りが満ちて来る。怒りはこの部屋に満ちてゐる。これはほんたうに僕の借りた部屋なのだらうか。それともこの汚ならしい部屋までが現在の僕を愚弄しようとしてゐるのではないか。……なにごとももう考へるな、と夜はきまつて停電になつた。毎晩の停電は僕を日が暮れると絶望的にすぐ床に横はらせる。僕はこんな詩を考へる。

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わびしい部屋のなかの海。頭のなかの海、くらい怒りを溶かす海、大きな大きなあまりにも大きなものにむかつて睡り込んでゆかうとする、ぎしりぎしりと頭のなかに渦巻く海。
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 真黒な思考の夜のつぎには、毎日、この部屋にも朝がやつて来る。すると、僕にはとに
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