いアスフアルトの道路へ出た。道路の上の空はピンと胸を張つて駅のガードの方へ一つの意志の如くつづいてゐる。ふらふらと僕はいつのまにか駅の前の雑沓を歩いてゐた。前から二三度僕の意識に浮んだことのある土地会社の方へ足は向いてゐた。袋路を入つて、その扉の前に僕は立つた。僕が扉を押して入ると、狭い土間に老婆が一人腰掛けてゐた。
「部屋ですか、この付近にあるのですよ、アパートの二階の四畳半ですが、今日も一人見に行かれて流場が少し暗いといつて断られましたが……」
「その流場には水道もあるのですか」僕は妙なことを訊ねたが老婆が頷いたので何か吻として、権利金のことを訊ねた。
「一万といふことですが、係の人が今留守ですから明日もう一度おいでになりませんか」
一万円ときいて、僕はかねて勤先の出版屋へ交渉中の前借の金額を思つた。それは恰度、一万円であつた。それだけの金が借れると、それだけが僕にとつて使ふことのできる最後の金に違ひなかつた。
部屋に戻つてみると、そこら中が甥の荷でごつた返しになつてゐたが、今、部屋には甥も友人もゐなかつた。机の上の紙片を見て僕ははつとした。
〈三日ほど待ちます 僕たちは三日間友人のところへ行つてゐます必ず立退いて下さい 以上〉
圧力はやはり僕をここから弾き出さうとしてゐるのだ。これは僕にとつて、単なる甥の拒否ではなかつた。……翌日は嵐にでもなりさうな、奇妙にねつとりした、だらだら雨の日だつた。僕が土地会社を訪れると、係の人はゐた。そのブローカーらしい男は、すぐに貸間の条件についてごたごた話しだした。それから、とにかく一度ごらんになつては、と僕にすすめた。そこの小僧に案内してもらふことになつた。僕と一緒に外へ出た小僧は傘もささないで雨のなかをすたすた歩いて行つた。彼は僕を甥の下宿のある露路の方へ連れて行く。が、その一つ手前の角まで来ると、横へ曲つて助産婦の看板の出てゐるところまで来た。そこがアパートだつたのだ。僕はその時までそこにアパートがあるとは気がつかなかつた。だが、それは僕の迂濶さばかりからではない、その古びた木造二階建の家屋は殆ど芥箱か何かのやうに引込んだところに目だたなく存在してゐたのだから。僕たちは大きな薄暗い芥箱のなかに這入つて行つた。朽ちかかつた木の階段にはところどころ穴があいてゐて、短い階段をのぼると、低い天井に薄暗い電燈が一つ佗しげに灯つてゐる。そこから一米幅の廊下の筈なのだが、薪やらバケツが通路一杯塞いでゐた。障害物を避けながら二三歩進むと、すぐ目の前の扉が開放しになつてゐる部屋の入口に小僧は立留まつた。が、つづいて僕がその入口に立つた時、何か気味悪い濁つた塊りがもぢやもぢやと暗いなかに蠢めいてゐる姿に僕は圧倒されさうだつた。小僧はその部屋に上つて行くと、何かひそひそと話してゐた。
「どうぞおはいり下さい」膝の上に女の児を抱へてゐる若い女が僕の方へ声をかけた。狭い汚れた畳の上には白米が一杯に新聞紙に展げてあつたが、僕が入つて来ると、真黒な腕をした痩せた老人が、それを両手で掻き集めて隅の方へ片づけた。壁に凭掛つて汚れたモンペ姿の老婆が二人、脚を投出してゐた。五人暮しかしら……僕はこの部屋の人員のことをぼんやり考へてゐた。
「お天気がわるくていけませんね。いい部屋ですよ、日もよくあたりますし……」若い女は落着払つて日常の会話を持ちかけて来た。僕はさつき土地会社の男から、その部屋の条件についていろいろきかされてはゐた。アパート管理人の諒解は後でうけることにして、最初は同居人の形でずるずる入り込むこと、(さうでもしなければこの節、部屋など絶対にないと彼は云つた)だから、部屋を見に行つても、前から識りあひの人が訪ねて来たやうに振舞つて欲しい、さうして同じアパートの煩さい人々の手前をうまく繕つてもらひたいといふのが、その条件であつた。差当つて僕はこの条件に縛られて行くより他はなささうだつた。若い女はあたりの部屋に聴かすため大きな声で世間話をするのだつた。それから、あたりを憚るやうな声で部屋の説明をした。
「あと三日位で部屋はきれいに開けますよ。ですけど、当分、間代は私の方から管理人へ払ふことにさせて下さい。それからアパートの人達にはとにかく身内だといふことにしておいて下さい。いいえ、隣近所はみんなそれはいい人たちばかりです」
その説明は何か眼の前にある、僕には見えない、複雑な糸について云つてゐるやうな、もどかしさがあつた。
「それであなたたちの出て行くあてはあるのですか」
「こんどは事務所の二階へ移ります。いいえ、この人たちは郷里から一寸来てゐましたが明日は帰ります」
僕は古びた箪笥や境台でごたごたした壁際や、向ふに見えるガラスの破損した窓に視線をやり、何かがつかりしたやうな気持だつた。僕と案内人とがそ
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