沙漠の花
原民喜
堀辰雄氏から「牧歌」といふ署名入りの美しい本を送つて頂いた。私は堀さんを遠くから敬愛するばかりで、まだ一度もお目にかかつたことはないのだが、これは荒涼としたなかに咲いてゐる花のやうにおもはれた。この小作品集を読んでゐると、ふと文体について私は考へさせられた。
明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる。だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう。
私には四、五人の読者があればいゝと考えてゐる。だが、はたして私自身は私の読者なのだらうか、さう思ひながら、以前書いた作品を読み返してみた。心をこめて書いたものはやはり自分を感動させることができるやうだつた。私は自分で自分に感動できる人間になりたい。リルケは最後の「悲歌」を書上げたときかう云つてゐる。
「私はかくてこの物のために生き抜いて来たのです、すべてに堪へて。すべてに。そして必要だつたのは、これだつたのです。ただしこれだけだつたのです。でも、もうそれはあるのです。あるので
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