すアーメン」
かういふことがいへる日が来たら、どんなにいいだらうか。私も……。
私は私の書きたいものだけ書き上げたら早くあの世に行きたい。と、こんなことを友人に話したところ、奥野信太郎さんから電話がかかつて来た。
「死んではいけませんよ、死んでは。元気を出しなさい」
私が自殺でもするのかと気づかはれたのだが、私についてそんなに心配して頂けたのはうれしかつた。
「私はまるでどことも知れぬ所へゆく為に、無限の孤独のなかを横切つてゐる様な気がします。私自身が沙漠であり、同時に旅人であり、駱駝なのです」と、作品を書くことのほかに何も人生から期待してゐないフローベールの手紙は私の心を鞭打つ。
昔から、逞しい作家や偉い作家なら、ありあまるほどゐるやうだ。だが、私にとつて、心惹かれる懐しい作家はだんだん少くなつて行くやうだ。私が流転のなかで持ち歩いてゐる「マルテの手記」の余白に、近頃かう書き込んでおいた。昭和廿四年秋、私の途は既に決定されてゐるのではあるまいか。荒涼に耐へて、一すぢ懐しいものを滲じますことができれば何も望むところはなささうだ。
底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
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