五月
原民喜
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)一時《ひととき》
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電車は恍惚とした五月の大気のなかを走った。西へ傾いた太陽の甘ったるい光は樹木や屋根の上に溢れ、時としてその光は房子の険しい額に戯れかかった。何処の駅に着くのか何処を今過ぎてゐるのか、まるで乗客はみんな放心状態にあるやうな、さう云った一時《ひととき》であった。
ふと、房子は自分の視線がさっきまでは何かに遮られてゐたやうだが、気がつくと眼の前に三人のマダムが坐ってゐるのだった。三人は三人ともセルの単衣を着て上品な化粧でその上彼女達は揃も揃って玉のやうに可愛いい男の赤ん坊を抱いてゐるのであった。彼女達は恵まれた自分の姿をぢっと静かに何ものにかに委ねてゐるやうであった。三人は今日の一日をピクニックに出掛け、さうして歓談を尽して今帰る途中らしく思へた。マダム達は憎い程美しかったし、赤ん坊のやうに若々しかった。
房子は不思議なことに嫉妬の感情を交へないでマダム達を正視することが出来た。それどころか世にはこんな珍しい存在《もの》があるのか、と云ったぼんやりした感嘆が房子の空虚《うつろ》な瞳に
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