つて入る。石油箱の上にそのノートを置いて読みはじめる。榎といふ詩が眼に入る。烈風に揉み苦茶にされながら、よぢれ、よぢくれて、天を目指し伸びゆく海岸の榎だ……。あ、これだな、と僕はこの家の主人の自画像を見せつけられたおもひがする。暗いまなざしの彼方に、鬱蒼と繁つた榎の若葉が……若葉は陽の光を求めてそよいでゐる。
「お茶のまないか」ふと階下で彼の呼ぶ声がする。僕は立上つて、階段を降りて行く。だだつ広いガラスの壁を背景に、この家の主人公は椅子にかけてゐる。
「この頃睡れるかい」と彼はさりげない調子で訊ねる。
「うん」僕も憂鬱さうに応へるのだが、脇腹のあたりに何か涙つぽいものが横ぎる。僕たちは了解し合つてゐるのだらうか?……何を?……どんな風に?……とにかく、今は異常な時刻なのだ。突然、僕はあの榎の向うに稲妻型に裂けた雲を見る。人類の渦の混濁のかなたに輝かしい幻像が浮上る。僕は何かぺらぺらと熱つぽいことを口走りたくなる。
「お茶ばつかしでは飢ゑは紛れないな」
彼は重さうに頭を揺すぶる。急に僕も疲労感が戻つてくる。僕は重たい関節をひきつるやうにして、まつ白な壁とガラス窓で囲まれた小さな部屋に戻
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