る。板敷の上にごろりと横たはる。軽いめまひのなかに僕は細つそりと眼を閉ぢる。窓から射し込む暮近い明りが、僕の内臓を透きとほつて過ぎる。軽い。軽い。僕にはもう殆ど体重がないのだ。窓の外にある樹木や空やアスフアルトの坂は、みんな痺れてゐる、それが僕のなかに崩れかからうとして痙攣する、……僕は惨劇の中に死にかかつてゐる男だらうか。違う、……。僕は結晶を夢みるのだ。軽い、軽い、空白のなかに浮び上る。透明。……突然、僕は鞭の唸りを耳許で聴いたやうにおもふ。階下の入口が開いて、この家の細君の声がしてゐる。僕ははつとする。忽ち僕は囚人の意識をとり戻すのだ。僕は身を屈め眼を伏せて、無抵抗の窒息状態に還つてゐる。僕は四方の壁と天井と、二・五メートル立方の空間の中に存在してゐる。存在してゐる、僕がここに存在してゐるといふことが、ここでは一番いけないことなのだ。

 いつから僕はこんな風にされてしまつたのだらうか……。とにかく、最初この家に僕がやつて来た当座は、今とはまるで容子が違つてゐた。恰度、四月はじめで、ガラス張の階下には明るい光線がふんだんに溢れ、僕はそのアトリエ式の部屋で、この家の主人と細君とその
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